2014年4月10日木曜日

「犬が人を噛んだ」問題

「人が犬を噛んだ」じゃなくて「犬が人を噛んだ」問題。

「人が犬を噛む」というのは情報量の例えとしてよく使われます。「犬が人を噛んだらニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」と。

しかし、「それは本当に伝えるべきなのか?」とふと思いました。マスコミもネットも「人が犬を噛んだ」ことばかり伝えるのですが、それは例外として処理すべき問題ばかりなんですよね。ニュースにはなっても、何も対処すべき事がないか、対処するコストばかりかかってどうしようもない。

逆に「犬が人を噛んだ」というのはありがちのようですが、狂犬病の問題もあるし、野良犬が多すぎるかもしれない。こちらは社会問題になり得るという意味で、よっぽど大きなニュースじゃないかなと。

2014年4月9日水曜日

ニュースアグリゲーターがゴミだらけの件

ネト充止めたとは言ったんですが、完全にネットから離れるのは無理なので、たまにいろんなサイト見てるのですが、どれもこれもことごとくつまらんのですよね。そして、最近よく話題になるニュースアグリゲーターがこれに輪をかけて酷い、というより、そもそものコンセプトが逆走してます。

コンセプトが逆走していると感じる大きな理由は、「話題のニュース」「フィルタ」の位置づけです。どのアグリゲーターも「話題のニュース=読むべきもの」「フィルタ=ユーザが興味を持ちそうなもの」という前提でサービスを作ってます。

しかし、自分からすると「話題のニュース=読む価値がないもの」「フィルタ=ゴミを除く」サービスが欲しいです。話題になってるもの、たとえばYahoo!トップだったりはてブトップだったりTwitterで話題になってるほとんどくだらないものばかりです。もっと話題にならないものこそ読みたい。

もう一つ、こちらが致命的に勘違いしてる点ですが、「ユーザが興味を持ちそうなもの」なんてどうでもいいんです。極端な話、ランダムで出してもらうくらいでいい。ただ、逆に「ゴミを除く」のは徹底的にやって欲しい。有害デマブログは一度サイト単位でブロックしたら二度と出てはいけないし、そもそもデマ流していると評価が定まっているサイトは最初から出すべきでない。

「話題にならない」が面白いものを見ようとすると、だいたい本を買うか、テレビを見ることになります。テレビはだいたいNHKを見てますが、民放も一部の有害番組(報道ステーションなど)を除けば悪くないし、ネットのゴミまみれになるよりはずっといい。

とは言え、ニュースアグリゲーターのコンセプトがことごとく逆走してるのが一番の問題なので、自分で何か作れないかなと思ってます。

2014年4月8日火曜日

真水の中のうんこ問題

ネットのサービスを見て残念だなぁと思うことが多いのですが、それを一言で表すとこれです。「真水の中のうんこ」。

これは何かというと、「全体としては真水(良いもの)ばかりだけど、一部うんこ(最悪のもの)が混じってるせいで、全体が飲めなくなるという現象です。これが非常に多い。

その理由として、ネットのサービスって「まとめていくら」というのが結構多いんですね。例えば本なら基本的に1冊の本として完結しているので、この出版社は信用できないとか、このレーベルは質が悪いというのはあっても、出版社が嫌いだから良書が悪書に変わることはありえないです。

しかし、ネットだと基本的にごちゃ混ぜで来る。例えば外国かぶれのDQNや頭に「いん」が良くつくDQNとか金髪割れ厨DQNのような「うんこ」があると、全体が嫌な感じになります。これで使えなくなったサービスがたくさんあります。

「まとめていくら」の問題は、まとめてしまうことで、見てしまうことのデメリットもありますが、その「うんこ」に金が渡る可能性があるからです。1円も渡したくない、そう考えると全体にお金が払えなくなる。

サービスを作る人でこの問題に鈍感な人が多いのが不思議なんですね。

経済学と経営学

結構前からの悩みだったのが「経済学」です。特に分からなかったのがケインズ。何となく教科書で読んだニューディール政策くらいしか知らないんですが、例えば「公共事業は良いかどうか」というのもずっと分からなかったんですよね。

ただ、ようやく糸口が見えてきました。需要管理というのが分からなかったのですが、これを「市場」、あるいは「市場規模」で考えるとスッキリするじゃないかなと。

要するに、例えばある業界を考えて、その市場規模が1兆円とします。これが好況なら1兆1000億円、不況なら9000億円になります。これくらいなら経営努力で何とかなるかもしれませんが、例えば5000億円になったとします。こうなったらバタバタ倒産してどうしようもなくなります。そこで、政府が4000億円の支出をして何とか支えられるレベルまで戻します。当たり前過ぎるけど、需要という言葉に縛られすぎてずっと消化できてなかった。

逆に、こう考えると限界もハッキリします。政府が直接に支出が出来るのは建設業界や、ITシステムくらいです。あとは減税という形か、直接人々に配るか。直接配るのはこれまでは批判されてたけど、今はむしろデフレ脱却という名目で出来るんじゃなかろうかというのは以前書いたとおり。ただ、今は逆に、人が足りないのが問題となってるくらい。これもこれも市場規模以上に拡大してるからでしょうね。

あともう一つの限界は、「市場規模」が分かるものでないと難しいということ。安定した業界でないと管理自体が難しい。とか考えて、経済学と経営学の違いがふと理解できました。その管理自体が難しいものを扱うのが経営学というもう一つの経済学。

経済学と言えばケインズの他に、もう一人有名なのがシュンペーターです。こちらは経済学としては異質すぎて受け入れられなかったみたいなんですね。ただ、経営学には大きな影響を与えています。もちろんドラッカーにも。

じゃあどちらが正しいのかというと、たぶん「どちらも正しい」です。成熟業界はまずは安定しないとどうしようもないし、ちょっとの不況ならともかく恐慌になってしまうのを避けるには財政政策以上のものはないです。一方で、成熟してない業界や、逆に成熟してる業界でも各々の企業にとっては経営学こそが重要です。